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自分だけが見える景色

育つ。

本当に皆が育ってきた。

とても力強く育ってきた。

里山の生物たちも、人間も、本当に力強く育ってきた。

私は弟子はとっていない。師弟関係というのは窮屈だし、自分がされて嫌だったことは施したくないから、人間関係に何も縛りを設けたくはないと思っている。

だけど、関わってきた次世代の若者たちは、先生先生と呼んでくれいつも慕ってくれている。それは素直に嬉しいこと。

僕が教育に関して特に意識していることはあまりない。

あえて言うなら二つ。

一つは表面に出てきている課題の奥底にある、その人自身の軸と向き合うこと。そしてその存在を尊重し敬意を持って接するということ。

そしてもう一つは自分自身がいくつになっても、自分にとってワクワクするような、楽しい新しいと心底思えることに常に挑戦し続けること、この二つなのかもしれない。

近年では、日々変化している稲作に加え、ツリーケアの技術習得、車の整備士さん並の整備技術習得、溶接技術習得、その他サバイバル系の知識と技術習得に常に勤しんでいる。

言われてみれば気づかないうちに、自身が「老化」しないよう無意識に意識しているのかもしれない。

私の場合、その「老化」の指標としているエネルギー源が間違いなく、対極に意識する

『 老害 』の存在だ。

老害をわかりやすくまとめたものを見つけたのでここに張っておく↓

「老害」と言われる人の特徴

そこに足を踏み入れたが最後・・この世の終わり、彼らの存在をまさに生き霊・魑魅魍魎か何かだと私は本気で思っている。

彼らに共通しているのは、まず

『自覚が全くない』ということ。

そして、とにかく自己肯定感が低く、恐れが大きいということ。それゆえ「誰かに認めてもらいたい」という自意識がとても強いという傾向がある。

だから表面に出てくるのは「プライド」だ。

そのプライドが引き金となって些細なことで傷つき他人に対して攻撃的になる。

「若者に対してあたりがきつい。」 というのもかなりの特徴だ。

老害研究家の私が分析するに、老害たちは、若者、すなわち「次世代に自分を認めさせたい、認めてもらいたい」という欲求が常に無意識にはたらいている、プログラム起動状態なのだと思っている。

・・彼らはおそらく幼少期に、親や社会から、そのあるがままを認めてもらっていない可能性が高い。

だから無意識の根底に、「自己肯定感が低い」が存在する。

まさに時代の負の産物である。

でも、大変申し訳ないが、私たちも彼らに足を引っ張られ、癒されることのない心のケアに自分たちの人生の貴重な時間を割くことはなかなか困難な状況なのだ。。

何故なら私たちには時間がない。

何よりも自分達自身、そして次世代に全集中するほうが大切になってくる。(私の場合はそう思っている)

残念ながら、彼らに関わっている暇は本当に無いのだ。

逆にいうと、僕らの次世代への接し方、尊重し、優しくありのままを受け入れている姿を見てもらうことで、彼らが幼少期に癒えなかった言えなかった何かを手に入れてもらえたらな、とさえ思っている。

だから結論は、今に全集中することなのだと、やはりそこに返ってくる。

だからみんな。やりたいことをやろうよ。

とことんやろう。

今すぐやろう。

自分だけが見える景色ってものがあるじゃない。

同じ風景でもピントの合い方だって違うだろうし、自分にしかわからないことだってあるじゃない。

だから何を言われようが、やればいい。

自分だけのかけがえのない景色を見に行こう!

農園主