夏まっさかり。
こんばんは、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか、
こちらのほうは、先日、猛暑の中、お客様からも数々のご心配の声を頂戴する中、毎年恒例になっている「お盆前の命がけの畦草刈り」が、無事に終了いたしました。
あとは、水入れの早朝の田まわりのついでに、ヒエ等の雑草の拾い草をこなし、収穫期まで乗り切るだけです。
いつも過酷すぎて作業の順番が最後になってしまうこの田んぼの畦草刈り・・
以前、日経新聞に大きく取り上げられた時にも、この田んぼの写真を使って頂きました。
毎年古代米の緑米を作付けしている、ひかり農園といえばこの田んぼ、というくらい、ここは有名な田んぼでもあります。
・・かれこれもう10年以上、ずっと不耕起栽培を続けている田んぼにはなるのですが、一番しも手にある田んぼで上からも横からも水が落ちてきて、収穫期になっても全然田んぼが乾かない、、田植え期には上の田んぼから水が落ちてきて水尻を調整しても、水位の調整がなかなか難しい、、
加えて、畦の法面の傾斜がキツすぎて、また距離が長すぎて、小さい田んぼにも関わらず、畦草刈りにおいては作業量が一番多くなってしまう、管理が非常に大変な田んぼであったりするのであります。
でも私が初めて地主さんから借り受けた思い出の田んぼでもあり、今までの苦労や色んな思いが全部詰まった、とても感慨深い田んぼでもあり、一番思い入れが強い田んぼでもあったりするのです。
色々な理由があって、私はこの田んぼをいつも「一番綺麗にして終わりたい」という思いで畦草刈りの作業もするようにしています。
そのためか、道ゆく方々に「いつも綺麗にしてくれてありがとう」とか「驚異的な綺麗さやな!」とか色々とお褒めの言葉を頂戴する中、『お前、綺麗にし過ぎやねん!マジ迷惑や!!』というような心ないお言葉を同業者の方から頂戴することもあったりします(笑)
でも、私は続けます。誰になんと言われようが、
『 どこまでも綺麗にしてやる 』
という強い思いを持ち続ける理由が、この田んぼにはあるのです。
この田んぼは生徒さんはじめ、皆々さまに広く見られている田んぼでもありますし、メディアにもいつも取り上げられてきた田んぼです。
また、あの オクシモロン のカリーをずっと裏で支え続けてきた、あの緑米を初めて作った田んぼでもあり、色んな意味でとても影響力が強い田んぼでもあると思うのです。
だから、いつも綺麗に管理している。というのも勿論あるのですが、
それ以上に命がけで毎年毎年、この田んぼを作り続けている理由が実はあるのです。
それは「MBさん」という方の存在です。
この田んぼは、神戸市西区にある、某所になるのですが、
私がここの田んぼを地主さんから借り受けた当初、この一帯をたった一人で管理している農家の方がいらっしゃいました。
そう。彼の名は「MBさん」
ブロッコリーやキャベツ、夏は水稲にスイートコーン。それはそれは大面積を重機や農薬を駆使して、必死でお一人で管理されていました。
田んぼの地主さんは村の方々皆さん色々で、所有者は多岐にわたっていたと思います。
皆さんMBさんに全てお任せで、ご自身は田んぼには一切入っていらっしゃらないご様子でした。
私は、不耕起栽培を実践するため、初年度は耕作放棄地だったその田んぼにある多年草を弱らせるため、冬期湛水をさせてもらいました。
MBさんはその村の重鎮だったみたいで、私がご挨拶をしても、一切返事をしてくれることはありませんでした。徹底的にいつも完全無視!!(笑※汗)
でも、私は自分の思ったことをひたすらに続けました。
一年目は全ての田んぼを手植えし、天日干しし、2年目からは自分で改造したクランク式の古い田植え機で不耕起栽培を試行錯誤で続けました。
そして、何年か経ったある日のこと、
今までいつも無視され続けてきたMBさんが、今と同じお盆前に畦草刈りに奮闘していた私に向かって、突然話しかけてきたではありませんか!!
私は本当にビックリして、彼の話を聞き始めたのですが、彼は静かに私にこう言ったのです。
「自分、前に冬水張っとったやろ。」
「わしらあれは還元土壌になるから嫌うねん。」「せやけど、いつもええ稲つくるなー自分」
「大したもんや!」
「それからいっつもこの畦、綺麗に刈ってくれてありがとな〜」
「この村ではな、自分の田んぼだけでのーて、この道に面した水路横も田んぼの持ち主が草刈りするルールやねん」
「ここはななかなしんどいやろ。でもいっぺんにせんでええから、ちょっとずつでええから、これからも頑張ってな。」
「よろしく頼むな。」
それが私が聞いた彼の最後の言葉でした。
ほどなくして、彼が亡くなったことを私は知らされました・・
あとで知ったのですが、一人で田んぼに立ち続けていたその年も、ずっと喉に癌を患っていたそうです。
たった一人での過酷な労働や、一人で全てをこなすために浴び続けた、農薬の影響がとても大きかったのではないかと私は思いました。
こんな事があっていいのだろうか・・
私は本当に心の底から泣きました。
***
日本の各地では、追い込まれた農家や酪農家、畜産業界の方々が、後継者もなく、限界を感じ、次々に廃業しています。
普通にやっていても、やればやるほど赤字になるので、続けたくても続ける事ができないのです。
田んぼも過酷を極める棚田や、獣害やその他色んな理由から、自然豊かな昔ながらの歴史ある里山文化や生態系の多様性を担う、大切な谷津田地域から、どんどんと農家が消えて行っている現状があったりします。
昨今、食料の問題が色々と叫ばれていますよね。
ただ、この日本の現状を招いたのは、一体誰なのでしょうか?
それは政治でも企業でも社会でもありません。
紛れもなく、この今ここにいる「自分自身」なのではないでしょうか、
私は、30歳を過ぎた時、二子玉川の本屋さんで、岩澤 信夫さん の本に出会って、
一乗院の石和田料理長の精進料理に出会って、繁田 喜彦さん の緑米に出会って、
農家になる覚悟を決めました。
そして、赤字とか黒字とか、そんなことは一切関係なく、
「日本のかけがえのない国土を、自分自身で守っていこう」と心に決めたのです。
これを言うのは公ではもしかしたら初めてのことなのかもしれません。
でも、農業を続けている根底には、実はこの精神がずっと根付いています。
だから、どうか一人でも多くの方に、日本のお米を、日本の品を手にとって欲しい。
そして、それを農家と一緒になって皆で支え合っていって欲しい。
それが、このかけがえのない国土を守ることに繋がり、この国、この瑞穂の国を守って行くことに繋がると私は本気で信じているから。
だって、おかしいじゃん!!
MBさんは亡くなる直前までたった一人で黙って何も言わず田んぼに入ってたんだよ!!
なんでしんどいからって言う理由で、皆人任せにしてそうなるかな、
しんどいに決まってんじゃん!!
だってしんどくない事なんてこの世にあるか?!!
そんなもんあるわけないだろ!
みんなでやろうよ。
〜 MBさんは今日も側にいてくれる 〜
〜 いつも側で僕らを守ってくれている。。
『MBさん。今年も俺、頑張ったよ。。だって約束したもんね。
この畦は俺に任せとけ!☆ってね!
ありがとう。
ゆっくり休んでねMBさん・・いつもありがとう。これからも俺、頑張るからね。』
農園主