無肥料稲作、無農薬稲作の先にあった答え。それは「生き物の大きな命の輪」でした。
それは季節と共にやってくる、まるで龍のような「うねり」であり「波」だとも言えます。
人の世はすっぽりとその輪に入ったまま、その大きな存在に気づく事もありません。
人間にとって、都合のいい事、効率のいい事は、時に『合理、合理的』などと呼ばれます。
合理とは「目的にあって無駄のない能率的なこと」を指しますが、ロジック立てて信じて疑わなかったそれが、実はとても小さな側面からみた、ある偏った風景であったとしたらどうでしょう?
信じて疑わなかった合理が、理不尽に何かを踏みつけにしていたり、破壊してしまっていたり、取り返しのつかない事の元凶になってしまっているということが、もしかしたらあるかもしれないのです。
人間の影響力は自分たちが思っている以上に甚大です。
視野のもとは視点であり、視点とは自分がいる点であり、その点は意思を持って移動しない限り動く事はありません。
経済社会からみた合理のみに囚われることなく、自分はもっともっと大きな事に関わっている、その一員だという事を思い出し、一人ひとりの一挙手一投足がもっともっともっと意識的になっていくだけで、この世界は今よりもっと素敵な場所になって行くのではないでしょうか。
いろんな側面に立ってみる。
その先にみえるものは、魂を揺さぶる、より深いリアリティーなのかもしれません。
「 日本里山生物研究所 」
里に暮らす私たち、農業を営む私たちにとって、里に生きる生き物達は何もかも全てが、作物という恵の最終形態を形作る上での構成員であり家族といえます。
そして我々里に生きる人間とは、里という生命体の「生態系の一部」なのです。
人間達の毎日の食卓を彩る全てとは、この生き物達の生きた結晶です。
里の生き物を知ることは、自分たちを深く知ることに繋がってゆきます。
我々はどこから来て、一体この先どこへ向かうのか…
里山という場所に存在する要素のすべてが、私にはこれからの人間社会の未来に見えて仕方がありませんでした。
田んぼ、里山、、現場から、ここから一歩一歩、未来への鮮烈なイメージに向かって、コツコツと進んでゆきたいと思っています。
我々は、日本里山生物研究所 です。