明日からの中稲(なかて)の稲刈り準備で、クーラーボックスに入れる飲み物をいつものお店に買いに行ったら、思わず自分の目を疑った
「スタカレー?! にゃんにゃんやん!!!!!」
って思わず店内で叫んでしまった笑
ここはダサイタマではなく、ヤバンシュウである。え!?なんで埼玉のにゃんにゃんが!?
そう。何を隠そう、この私、埼玉県民だったり、埼玉近郊に住んでいた時期が意外と長い。
最初は浦和、その後は東京だけどほぼ埼玉の東大和、そしてあの福生。
その後は以前ブログでも書いたかな。東京都心部を転々としてきた。
学生時代を過ごした青春時代は、埼玉や八王子、東大和近辺から西武線と中央線沿線がまさにフィールド。
小作の東芝青梅工場でバイトしてみたり、運転免許は鴻巣試験場でとったっけかな笑
当時は近辺の各大学に友人達(悪友達)がいた。
美大つながりでギター仲間のとある友人がいた。
彼とは浦和時代からなぜか腐れ縁で、いつも結構近くに住んでいてお互い転々としていたっけかな。
僕が福生のアメリカンハウスに住んでいた頃、彼は上尾付近に住んでいたと記憶している。
そんな彼がバイトしてたのが、この癖のある名店。娘娘(にゃんにゃん)である。
マスターは人間味溢れるいい方で、スタカレーとスタミナラーメンと餃子が看板メニューで、よく食べに行ったっけ。
もう今はないのかな・・北浦和東口にも娘妹(にゃんめい)という姉妹店があってよく通った。
当時の僕はまったくお金もなく、ストリートミュージシャンで日銭を稼いではなんとか生きていた毎日。。駅前の地下道なんかで夜な夜なハーモニカを吹いていたっけかな。。
先のことなんてなにもわからず、暗闇の中を手探りで歩いていた、どこで野垂れ死ぬかわからいような綱渡りの毎日。。危ない橋もたくさん渡ってきた。
本当にしんどかったけど本当に楽しかった青春の日々。
そんな自分がその後IT業界、広告業界のトップで最前線で、偉業を成し遂げていくことになるなんて、この頃誰が想像しただろうか・・
人の人生なんて、ほんとわからないものである。
だから、どんな時でも「何くそ!」と踏ん張り、あきらめず、その時その時を精一杯、真剣に目の前のことに向き合って生き抜いていけば、きっと、きっと何かに繋がってくる。僕はそう信じてきた。
様々な過去を持つ僕自身だが、今はいろんなことをやりながら、稲作をやっている。
農業を始める前、あまりに旨味いお米、あまりに甘いお米、わかりやすいなんだか不自然な味のお米に違和感を感じ、
お米本来のクリアーさやピュアさを大事にした、素朴だけどなんだか忘れられないスキっとした感じを出したくて、それだけをイメージして、今年も稲を育ててきた。
明日から あめのめぐみ と イセヒカリ、緑米の順番で順次稲刈りを進めていく。
台風なんてそんなもん知ったこっちゃない。ここは俺の世界だ。
全てなるようになる。世界はそういうふうに出来ている。
だって、こうやって俺はここに生きている。
いろんなことを乗り越えてここにいる。
農園主